異文化コミュニケーションを理解しあえる 真のグローバル企業を目指しませんか

言葉と文化の相互関係を理解することで異文化コミュニケーションが強くなる

異文化コミュニケーションにおいては、言葉もまた「所変われば品変わる」代物であることを強く意識してください。
世界で広範囲に話される言葉として、英語、フランス語、スペイン語、中国語などが挙げられますが、これらの言葉が使われる国や地域によって、その「話し振り」にはそれぞれに独特な言い回しや違いが見られます。

〇 目次 〇

1.「つまらないプレゼント」をあげる日本人
2.「赤」は「red」ではない!?
3.「日本語で接点」を見つけようとしている姿勢に素直に応じる

「つまらないプレゼント」をあげる日本人

例えば、「世界共通語」としての英語の場合、本家のイギリスにはじまり、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどの主要英語圏がまずあります。これに続いて、インド、スリランカ、香港、シンガポール、マレーシア、南アフリカなどの英語を公用語とする国々があり、そして、そのほかにも積極的に英語を話す国があります。このように広範囲に話される「世界共通語」としての英語は、それぞれの母国語に強く影響を受けながら、お国柄豊かな「英語」として人々に共有されることになります。

ところで、母国語に影響されるのは発音やアクセントばかりではありません。その表現や文脈にもそれぞれの文化の特性が色濃く出てきます。例えば、日本人が、(お世話になったので)『いろいろとすみませんでした』とお礼を述べようとして、うっかり、I am sorry.とだけ口にして、謝罪してしまったり、プレゼントを渡すときに『つまらないものですが』と直訳してしまったりというのがそれにあたります。つまらないものを相手は気持ちよく受け取ってくれるはずがありません。

このように、ある文化に特有な文脈でメッセージを伝えたのでは、言葉足らずに終わり、時には誤解を招くことさえあります。

「赤」は「red」ではない!?

もちろん、お互いそれぞれの文脈で衝突することもままあります。文化が違うとどちらかに何かが不足するということが起きます。

ある日、アメリカ人の友人と、赤い車の前で待ち合わせをしました。ところが、赤い車は見つからず、私は広い駐車場で途方に暮れてしまいました。20分も立った頃に分かったのだが、その友人はえんじ色の車の前にいたのです。私にしてみれば、えんじ色はあくまでもえんじ色でしかないから、この車の色は、決して「赤」とは呼べないのではないかと言ってみました。

すると、彼は、『それなら、ダークレッドと言えばよかったかなあ』と、またしても赤色を引用してあっさりと言ってのけました。どうやら、彼の色感覚には、えんじ色という認識がないようでした。

彼の友人達も、「レッド」で言い表すことに抵抗はないと言いました。

それでも私は、「濃い赤色」がえんじであるわけがないと思ったので、『例えば、バーガンディー色とか言わないの』と尋ねると、『「赤色」で言った方がわかり易いだろう、だから、使わないのさ』と彼は答えました。

赤色で表現していたらかえって混乱してしまいそうだなあ、と思っていると、横でこれを聞いていたイラン人の学生が、『これは明るい茶色と言うべきだろう』と割り込んできました。色に関する認識も、文化の数だけ実に「カラフル」なものであると改めて思いました。

同じ言語を使って話しても、その中味を支えるそれぞれの「生活経験」に多様なくい違いが見られる以上は、お互いの表現の仕方や考え方に不一致が起きるのです。これからの時代、世界に存在する多様な文化を認めるのと同様に、このような「共通語」にも寛容でなければなりません。

日本語で接点を見つけようとしている姿勢に素直に応じる

ところで、外国人から見た場合、当然、日本語もまた一つの外国語になりますが、私達には、なかなかこの外国語としての日本語に実感が持てないのではないでしょうか。なぜなら、伝達の道具としての日本語に日本人自身が無頓着になっていると思えるからです。

昨今、日本語を使う外国人が急増していますが、外国人と商談や接客で「誰か英語に強い奴はいないか!中国語はできないか!」とトラブル騒ぎになってしまうケースも少なくありません。このような反応は、単なる日本人の語学に対する自信のなさだけではなく、今までの島国ニッポンの外国文化との実質的な付き合いの薄さを実感するものでもあります。

私達はいつからともなく自分達の言葉を難解なものであると決め付けてしまい、さらに、私達の文化も同様にユニークな存在であるという「イメージ」を造ってしまったようです。外国人に日本語でコミュニケーションができるわけはないとでも信じきっているのか、私達の言葉で話しかけられたにもかかわらず、まるで呪文にかけられるのを恐れるかのように身構え、『イングリッシュ、ノー』と言って逃げ去ってしまう日本人いるのではないでしょうか。

日本語を使おうとする外国人には、当然私達も日本語で堂々と対応すればよいのです。相手に分かりやすくなればと、親切心からまるで幼稚園児に話すようにたどたどしく話をする人もいますが、これは見当違いというものです。

相手が日本語で接点を見つけようとしている姿勢に素直に応じること自体がなによりも親切な心配りと言えます。

記事:Hiragana Times 編集部Hiragana Timesロゴ

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